信じる(石川明人)

わざわざ現金を手にして「私はこれら貨幣の価値を信じています」と口に出す人はいません。なぜなら、ほぼ全ての日本人は貨幣の価値を本当に信じきっているからです。ルーブル美術館に行ってモナ・リザを指差し、わざわざ「私はこれを本物だと信じます」と口に出す観光客もまずいません。なぜなら、誰もがそれを本物だと信じきっているからです。 本当に何かを信じ切っている人にとっては、自分自身のその「信じる」という行為は透明になって見えなくなるはずです。「私は○○を信じています」と自覚し、そう口に出すのは、疑う余地もありうることや、実は十分には信じきれていないことの暗示になってしまう場合もあるように思います。そうした意味で、私は信徒たちが「○○を信じます」とわざわざ口に出すことに、そこはかとない違和感を覚えるのです。